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ふみきコラム20171007 開拓地の秋

 おかげ様で稲刈りも終わり、あとは乾くのを待って脱穀をするばかり。空模様に気をもみながらそのチャンスをうかがっているところ。
さて、田はすでに水を抜いてあるが、水を抜いてしまうとそこを住処としていた水生昆虫などが困るので、隅にほんの2坪くらいの池を掘っておいた。何の変哲もないただの水たまりだが、先日ふと気が付くとアオミドロが覆っているその水の中に直径が3センチほどで3枚の花弁をもった薄ピンクの花が咲いている。水面に花だけが浮くように開いていてなかなか可憐である。池の浅いところには田の難敵コナギが密生していたので、はじめは深いところに生えたコナギの花かなと気に留めなかったのだがどう見ても違う。しゃがみ込んでしげしげと水中を見ると、大きな葉がみえた。それが丁度オオバコを水没させたようで、しばらく眺めているとミズオオバコという言葉が頭に浮かんだ。知っている訳ではない、どこかで聞いたような気もするという程度だが。
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 帰って調べてみるとミズオオバコという草が確かにあって、それに間違いなかった。トチカガミ科という聞いたこともないような科の植物で、水草の一種である。雑草のコナギは水陸両用で水がなくなっても湿地なら生きていけるがミズオオバコは沈水性で水がないところでは枯れてしまう。(逆にコナギは水中で発芽、生長できるが、水深が10センチ程度を越えると発芽も成長も抑制される) 見たところ水深40センチくらいのところから葉や花茎を伸ばしているようだ。珍しいという訳ではないと思うが、見たのは初めてだ。今は田も川も水路はコンクリ化されているので、繁殖できる場所がなくなっているのであろう。

 不思議なのは今年の春に掘ったばかりの池にどうしてミズオオバコが生えるのかということだ。ミズオオバコは種を水中に落とすので、空から種が舞ってくるということはない。気がつかなかっただけかもしれないが去年はいなかった。推測だけれどもずっと昔の種が泥の中に潜んでいたのではなかろうか。泥の中は嫌気状態になるので種が長く生き残る(大賀ハスが有名)。それが池を掘ったことで光に触れ息を吹き返したということなのだろう。ちょっと得した気分になる。

 得した気分といえばこれも先日ツチガエルに再会した。これもめずらしいという訳ではないが何十年も見たことが無かったのである。子どもの頃には家の裏の小さな川(用水)に湧くようにいて、皆にクソガエルと呼ばれてバカにされていたカエルだ。当時、子ども仲間ではカエルにもランクがあって、大きくて捕まえるのが難しいウシガエルは崇拝の対象、山の中で会うアカガエルは「食える」しキレイで目を引き、トノサマガエルは身近な標準で、ツチガエルは美しくもなくあまりに沢山いるので相手にされなかったのだ。ちなみにガマガエルは妙に哲人風で人間くさく人気があったが、繁殖期に山中の水たまりに群れて交尾する様はそのタマゴともども脅威の光景だった。
ツチガエルがまわりから消えたのはボクのおぼろげな記憶では昭和40年頃で、突然消えたという印象をもっている。強い農薬がでてきた頃で、孵化と発生が農薬に弱かったのだろう。それ以後出会った記憶がない。
 「開拓地」は幸か不幸か早くに耕作放棄されたし、圃場整備もされなかったので(農業振興地域外なので)昔の生き物たちが細々と命脈をつないでいたのであろう。春に咲くレンゲも蒔いたものではなくヤブを刈り払ったので種が芽吹いたか、シノ竹の密生する隅で代を重ねてきたかしたものである。何でもないことだがこうしたことがちょっと嬉しい。

 今年一番に冷え込んだ今日、田の周りを歩くと、ミゾソバの花が満開でこれが実に美しい。沢山のミツバチが群がり、その羽音が遠くまで聞こえる。ベニバナボロギク、ツリフネソウ、アキノノゲシ、ツルアズキ…秋も本番である。 S

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by kurashilabo | 2017-10-07 15:50 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)
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