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ふみきコラム20170408

 春はせわしない。田んぼの種まき(苗代づくり)を数日中にやらなくてはならないのにその田んぼの整備がまだ途中。春がどんどん追いかけてくる。勝手に「十三塚谷戸農園」と名付けた開拓地で一人、重機(パワーシャベル)を友として圃場整備に奮闘中。

 先に大量に切り出した竹(孟宗と真竹)を使って暗渠排水を作っているのだ。重機で幅50センチ、深さ80センチほどのトレンチを堀り、沢山の竹を伏せ込みそれを網で包む(使い古しの霜除け資材の活用)。これは泥が中に入りこまないためだ。その上に土を戻し押し固めていく。要はそれだけだが何やかんやで200メートル位つくらなければならない。要所要所にはパイプを埋め込み(100ミリVU管)止水、排水装置も必要となる。

 昨日は夕方、短時間ではあるが雷雨があり、田はドロドロ、長靴は重く、重機は滑り、腰も痛みだす。やることも理屈もわかっているが、だからといってサクサクと事が進む訳ではない。しかしやった分だけは形になっていき、それが嬉しい。土木工事は好きだ。夜はすぐに眠くなり、次の日の作業の段取りを考えているうちに寝てしまう。わかり易い日々。「リア充」というべきか、いやそもそもが「妄充」か。
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 数日前、同じ小幡(オバタ)地区内のオートキャンプ場で集団自殺があった。30代40代の首都圏の男と女4人が車の中で練炭をたき、一酸化炭素中毒で死んだ。一昨年のやはり春爛漫の今頃、近くの林道で3人が死んでいたことがあった。このあたりはそのような人たちを引きつける何かがあるのだろうか。筑波山の霊力のようなものか。

 「木の芽時」は人の心が乱れるという。冬が終わり、体も心も春夏へ向けてモードを変換しようとするのだろう。社会的にも移動が多く、人も場所もシャッフルされて不安定となる。自分とは無関係と思ってしまえばそれだけだが、社会の底に開いた虚無の穴のようで自分の中で納まりが悪い。親兄弟もいるだろうに。
 ところが社会の中堅であってもおかしくない成人男女が4人消えたというのに全国紙には1行の記事もなく、地方版に1段のベタ記事が出ただけ。一応お知らせしましたというだけの。新聞的にはあまり騒ぐべきではない事件であろうし、遺族もまたそれを望まないのはわかる。オートキャンプ場だってあまり騒がれたら困るだろう。それもわかる。しかし・・・・。そろって何事も無かったかのようにする態度は何だ。今日、午前中の気持ちの良い時間帯にそのオートキャンプ場に行ってみた。そこはよく整備された公営のキャンプ場で、公園のようなキャンプサイトには平日だというのに多くの子連れの家族がテントを開いていた。(まだ春休み中だったのか)バトミントンをやったり、それは平和そのもので、集団自殺が3日前にあったなんてウソのようでさえあった。

 集団自殺の心理などボクには全くわからない。しかしそんな選択肢が許されるなら何をやっても無意味な気さえする。極北のジョーカーではないか。そうか、皆その虚無の穴に連れ込まれないように見なかったことにしているのか。 S 
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by kurashilabo | 2017-04-09 15:20 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)
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