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ふみきコラム1008

 先日の土・日に高松グループの人たちと「高松米」の稲刈りをし、火、水と農場の3-4人でその続きを刈った。両日とも雨の直後で、田はぬかるみ、かつ日差しは真夏のように暑くて最悪のコンディションだったがぬかるんで機械(バインダー)が入らないところを除いて一応終わった。
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 先週の週報で、「農場の他のスタッフはスズメを見ています」と編集の注がついていたので、この数日の稲刈り中、気を付けていたがスズメははやはり一羽も見なかった。他の田はほとんど稲刈が終わっているから寄ってきてもよさそうなものだが。いるにせよいないにせよ少なくなっているのは確かである。なぜ少なくなったのかは知らない。スズメが屋根下のちょっとした隙間に巣を作り子育てしているのを子どもの頃よく見たものだ。ハシゴを掛けて登りまだ羽根のそろわないヒナを手に取って遊んだこともある。(子どもはロクなことをしない)そのことから考えると、今の住宅は建物が合理化されて余分な隙間などないので巣を作ることができなくなっているのかもしれない。

 スズメは在来の鳥といえばそうとも言えるが、古くをたどれば稲作とともにこの列島にやってきたと推測されている。田畑の雑草の多くが農耕と共に日本にやってきた「里の草」と同じ意味で、スズメは「里の鳥」なのである。(山の中にスズメはいない)そのように考えると、田や水路に「どじょう」や「フナ」がほとんどいなくなったのと同じように里の環境が大きく変わったのであろう。

 先日来、「稲作漁労」という言葉に出合って少しウキウキしている。田でフナやコイを飼って利用する伝統を知らなかった訳ではない。長野の佐久地方のコイ(佐久の鯉太郎)は有名だし、最近では無農薬田での除草(抑草)にコイを利用する人もいる。しかしそれはあくまで付随的なもののように感じていた。しかし水田でのフナやどじょうの利用は稲作漁労として弥生時代以来のものであり、タンパク源として米と同様に重要な目的だったというのである。

 私たちは水田を「米を作る場所」として考える。しかし伝統的な水田システムはもっと幅と奥行きのあるおもしろい場所であったはずなのだ。郷愁のような話しばかりで恐縮だが子どもの頃、田の脇のほんのひとクワばかりの幅の水路にオタマジャクシや1センチほどのごく小さなフナが群れていて、網ですくうとたまに5センチばかりの真っ黒なナマズの子が混じっていたりした。

 考えてみると水田というのはすごいシステムだ。地方によって事情は異なるが、その多くは川から水を引いている。大河川の水を大きな用水に引き、それを中小の用水にまた引いて、先端は細い水路となって一枚一枚の田に水がくる。一枚一枚の田を一つの細胞とみれば用水は血管である。大小網の目のように張り巡らされた動脈、静脈によって一枚一枚の田は生きている。本来は1本の太い水流が、水田システムによって平野一面に広がり、浅くゆっくりと流れる。浅くゆっくりと、かつ温められた水流は生物相が豊かである。水田システムはひとつの水田生態系を形成している。フナもドジョウもモロコもナマズもトンボもそうした水田システムと共栄した者たちだ。

 生家の前に一軒の農家があり、その家では脇を流れる小用水の水を石積みで囲んだ一坪ばかりの池に引き込み、そこに何匹かの鯉を飼っていた。釜を洗ったりするときの米粒などをエサにしていたのだと思う。ボクはなぜかそこが好きで、かつうらやましかったのを覚えている。

 みな昔の話である。現在の圃場整備された田は川と切れているし、農家も田を「米を作る場所」としてしか考えない。単に米の生産場所に成り下がった田にボクは何の魅力も感じない。「稲作漁労」という言葉はそのような水田観の底の浅さを示しているともいえる。ウチの「山田」では是非「漁労」に取り組みたいものである。ザリガニもね。 S
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by kurashilabo | 2016-10-08 11:46 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)
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