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ふみきコラム ~田舎志向の今と昔

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 「帰りなんいざ、田園まさに荒れなんとす」ではないが、近ごろ「田園回帰」という言葉を聞くことが多い。とりわけ「地方消滅」論の増田レポートを批判する文脈で。「増田レポートは最近の、とりわけ若い世代の田園回帰志向を見ていないのではないか。地方から都市へ、だけでなく都市から地方へという逆流が始まっているではないか」と。

 この農場のある石岡市八郷地区(旧八郷町)は地方移住の先進地域のひとつで、若い移住者が多い。そして確かにここ数年、その流れが加速している気がする。われもわれもという感じで。それが表層的で一時的なものなのか、それとも新しい地殻変動の兆しであるのか、サテ。気分はあるが足腰が無い気もするのだが。ボクは田舎に移り住んでもう40年近くなるから今に続く田園回帰のハシリだったといえる。当時の田舎志向は今と比べるともっと意志的というかイデオロギー性が強かった。まだ「田舎から都市へ」というベクトルばかりで、都会人が田舎に移住し農業をやるという発想自体がトンデモナイ時代であったから。常識に抗ってそういう人生を選択するには何がしかの「思想」のようなものを必要としたのだろう。

 「都市から田舎へ」というムーブメントにはいくつかの契機があった。ひとつはヒッピームーブメントの潮流で、これはベトナム反戦運動などとからんで先進国に同時代的に発生したもので、「現代文明への異議申し立て」という性格をもっていた。日本では田舎(というより山間地など)に移住し農業をやりながら共同生活をする「コミューン運動」という形をとるものが多かった。いまひとつは「成田空港建設反対運動」で(三里塚闘争)、そこでは「遅れたもの」でしかなかったムラや農が現代を批判する実践的視座として新しい装いで登場していた。もうひとつは「食べ物の農薬による汚染」に反対する有機農業運動である。そこでもムラと農業に新しい光が当てられていた。

 戦後の「都市から田舎へ」という意識や人の動きはこれらが絡み合って70年代初頭に登場したのである。そして「たまごの会」が面白かったのはその3つすべてがひとつの釜の中に混在していたからではないかと思う。全体としては「有機農業による安全安心の食べ物」を求める市民運動とみられていたし、農場をみればそこはコミューン運動だったし、「たまご革命」ではないがその活動に「現代」を越えていく鉱脈があると皆思っていた。

 ボクはたぶんそういう中で「農業者」になったので昨今の「今は田舎がトレンド」的な風潮になじめない、ないし戸惑っているのではないかと思う。しかしこれは自分が悪いのでも若い人たちが悪いのでもない。時代が変わったのだ。ポスト冷戦構造とか、IT化で抑圧の質が変わったとか、今は安全安心の食べ物ではなく安全安心の人生こそが求められているとか、そういう大きな話はこの際置いておこう。

 ここで指摘しておきたいのは田舎もまた変わったということである。象徴的にいえばいまこの農場から車で2分のところに「セイコーマート」があり、5分で「セブン」と「ファミマ」がある。コンビニは都会の出店のようなものだろう。スマホとパソコンがあり、宅配制度は完備し、道路はよく整備されている。車で幹線道路に出ればそれこそあらゆるお店がそろっている。農場暮らしとはいっても都会生活と変わるところがない。

 また先に述べたように百姓スピリットをもった世代、1960年代までのまだムラがムラとしての命脈を保っていた時代に農民として自己形成した世代が去り、ムラの人はもはや「ムラビト」ではなく基本的に都会の人と変わるところがない。若い人は特にそうだ。よく言われる排他性もずい分弱くなった(むしろ都会人に媚びている)。

 私たちはいまだに「都市と田舎(地方)」という言い方をする。しかしすでに田舎などというものは無く、「郊外」があるだけなのだ。おそらく。日本全国どこへ行こうと。そう考えれば「移住」とはいっても要は緑がいっぱいの「郊外」に住むというに過ぎないのであろう。越えるべきハードルなどそもそも無いのである。 S
by kurashilabo | 2015-10-16 12:18 | 鈴木ふみきのコラム