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ふみきコラム 40周年特別コラム④

 このコラムで以前にも触れたことがあるが哲学者の内山節は次のように言っている。(「日本人はなぜキツネに騙されなくなったか」2007年) 「・・・このように考察していくと、1965年という年は、日本人にの精神史にとって大きな転換期だったのではないか…日本の人々が受け継いできた伝統的な精神が衰弱し、同時に日本の自然が大きく変わりながら自然と人間のコミュニケーションが変容していく時代でもあった。その意味で1965年当時、日本には一つの革命がもたらされていた。・・・」

 1965年は自分史でいえば高校3年生である。それ以前の自分の子ども時代は家が貧乏であったから山や川で遊びまわっていた記憶しかない。全くのカントリーボーイだったが当時の地方の子どもたちは多かれ少なかれそうだったと思う。街の生活が「3丁目の夕日」だった頃、田舎はまだまだ「うさぎ追いしかの山、コブナ釣りしかの川」であったのだ。その後ボクは家を出て地方大学で数年ごちゃごちゃと過ごし、東京に住むようになってからもウロウロして故郷に帰ることもなかった(冠婚葬祭は別として)。意識して生まれ育った環境を見直すようになったのは30代になってからである。改めて周囲を見直すと、それはもうかっての故郷ではなくなっていた。山や川で遊ぶ子どもたちはいなくなっていたし、そもそも川にいたはずの魚やカエルがいなくなっていたし、肥溜めは埋められていたし、むろんもう馬はいなくなっていたし。見るもの触るもの、何もかも「散文化」してしまっていた。ツマラナクなっていた。それを当時、自分がオトナになったからだとボクは考えた。郷愁の中で子ども時代はいつでもそのように感じるものなんだと。だがやはりあの頃、「自然と人間のコミュニケーションのあり方の変容」が社会の深くで進行していたのだ。その革命をリアルタイムで生きていたということだ。内山の考察が妥当なものかはわからないが、自分史的にはそのような仕方で納得するのである。

 小さな祠に鎮座していたり、油揚をくわえていたり、人をだましたり、人に化けたりして人の生活や心の中に住んでいたキツネがその頃を境に消えて、ただの動物種、イヌ科のキツネになった。1965年前後の頃どうして自然と人間はよそよそしい関係となり、あるいは自然はただ客体となってしまったのか。経済発展を至上の価値とした戦後、科学や技術への無条件の信頼、古いものは迷信とか封建的とかいうコトバで捨て去った進歩主義、電話やテレビの普及、モータリゼーションの発達による地域性の希薄化、都市への人の移動、機械化・化学化・大規模化する農業の生産現場等々。これらの価値を是とすることにおいて右も左もなかった。戦後はそういう時代であった。かような戦後という時代そのものがそれをもたらしたのであり、1945年を戦後のスタートと考えれば1965年は丁度その戦後精神が成人したということになり、その頃人の心だけでなく、農村の草木1本にいたるまでが「戦後化」されたということなのであろう。もっともこれらの近代主義は明治維新のそれでもあるから、この時明治維新の精神が大衆レベルで達成されたという見方もできる。1868年を明治元年とすれば、ほぼ100年で日本人の精神は「開明化」されたのである。そのような意味では100年かかった「自然と人間のコミュニケーションのあり方の変容」が1965年に完成したと言った方が正しいのかもしれない。教科書的な政治社会史からは見えないもっと深いレベル、コトバにもなりにくいところで進んでいた歴史がその時姿を現したのである。

 前置きが長くなったが、ここで言いたいことはボクたちが「農的」というコトバをつかっている課題はこの「自然と人間のコミュニケーションのあり方の変容」という「革命」に対応しているのではないかということである。農的課題とは「戦後化」し近代化を果たした人間が再び自然とのコミュニケーションを回復することは可能か、それはどのような筋道で可能となるかということであり、1965年以降日本の人々の前に出現した文明史的課題である。内山の言う「自然と人のコミュニケーションのあり方の変容」が戦後精神のたまものとすれば農的課題も戦後精神の中に孕まれたと言えるし、明治以来の近代化からとみるならば日本の近代100年が生み落とした課題ともいえる。

 「農か農業か」「農的とはどういうことか」という問いはずっとぼくたちを悩ませてきた。今も農業志向(いや農的志向と言うべきだろう)の若者たちを悩ませ混乱させている。(多くの場合、彼らは自らの混乱に気付かないほど深く混乱している)農業の課題というのは有機農業であれ何であれコトバにし易いしわかり易い。それに比べ農という課題はとらえどころがない。しかしその深さと射程範囲を見定めておかなければ昨今の農的志向も斜陽化著しい農業や過疎化して消滅さえささやかれる田舎の穴埋めに(自ら進んで)使われて歴史のモクズとなるのが関の山ということになるだろう。ボクたちが直面しているのは農業問題でも田舎問題でもなく、もっと文明的な問なのだから。 S


by kurashilabo | 2014-11-15 16:08 | 鈴木ふみきのコラム