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ふみきコラム 馬のはなし③

 日本の牡馬の気性が荒かったのは去勢されていなかったからでもある。欧米では種馬以外は去勢して利用するのが普通だったが日本では去勢は一般化しなかった。元をたどれば日本に馬が入ってきたのは4,5世紀の頃、北方騎馬民族の文化としてであるから去勢という技術を知らなかった訳ではないだろう。またよく言われるように古代日本は中国の律令体制にならって国家を作りながらかの国の宦官の制度は取り入れなかった。去勢という行為に何かしらの違和感があったのであろうか。これについて渡辺京二は「去勢をはじめとする統御の技法がほとんど開発されなかった(のは日本人が)馬を自分たちの友あるいは仲間として認め、人間の仲間に対してもそうであるように、彼らが欲しないことを己の利便のために強制するのをきらったからであろう」と述べている。

 付け加えることはないが、去勢や調教には「彼らは他者である」「人の利便のために存在する」という覚醒した意識が必要なのである。ところが日本での人と動物の関係は「かわいい、かわいがる、かわいそう」系列の言葉で表現されるような自他未分化で横並びのものであった。明治のはじめ東北から北海道を旅した英国の女性イザベラ・バードによれば「馬の性質が悪くなるのは、調教の時苛めたり、乱暴に取り扱うからだと以前は考えていたが、これは日本の馬の性悪さの説明にはならない。というのは人々は馬を大変怖がっていて、うやうやしく扱う。馬は打たれたり蹴られたりしないし、なだめるような声で話しかけられる。概して馬の方が主人よりよい暮らしをしている。おそらくこれが馬の悪癖の秘密なのだ。」「・・・馬に荷物を載せすぎたり、虐待するのを見たことがない。…荒々しい声で脅されることもない。馬が死ぬとりっぱに葬られその上に墓石が置かれる。」バードは旅行中に100頭近くの馬(駅馬)を利用したがその上でこのように言うのである。このような人と馬の関係からは去勢も調教という観念も立ち上ってはこない。

 明治の近代国民国家形成期になって日本も北海道開拓、軍馬としての利用、馬耕や荷馬車としての利用等として「調教」を輸入する。それは酪農や養豚養鶏など「畜産」の輸入と軌を一にしたものである。調教も畜産も「彼らは人の利便のために存在する」という自他のの区別と上下関係(垂直的関係)の意識が前提となる。明治とはこのように人と動物の関係に大きな転換が生じた時代であった。その「近代化」は一応成功したといえるだろう。しかしその時から、私たちの人と動物の関係はダブルスタンダードとなった。そのことの意味を私たちは未だに十分理解していない。それは例えば日常、犬や猫を溺愛しながら、他方、家畜たちの虐待と命に対する無関心が矛盾なく同居するという御都合主義ともなる。動物との関係のあり方は人と自然の関係、人と人の関係の在り方と相同である。そこのところはよく覚えておかなければならない。

 話しを戻そう。1960年代頃を最後に馬は役畜としての役割を終えた。北海道開拓にも軍馬にも必要なくなったし、運搬も馬耕も荷馬車もすべて機械に変わった。振り返れば日本人の馬との関係はその程度のものである。日本人全体からみれば乗馬を日常とするのも馬耕や荷馬車の利用もごく少数でかつごく短期間にとどまった。ヨーロッパやアメリカの映画を観ていると、しばしば馬への深い思い入れのような作品に出会う。近いところではコッポラ(?)の「戦火の馬」もそうだし、監督は忘れたが「すべての美しい馬たち」もなかなかいい作品だ。西部劇などほとんど馬の映画といっていい位である。日本の映画でそのような作品は記憶にない。馬の、文化としての厚みが違うのである。弁解する訳ではないが、ボクがリュウ君の去勢をどうするか悩んだり、その扱いに戸惑うのも(ムチを使うかどうかなどひとつをとっても)十分に歴史的理由があることなのである。 S

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by kurashilabo | 2014-08-09 16:48 | 鈴木ふみきのコラム