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ふみきコラム「炭水化物は人類を滅ぼす?」②

 穀物やイモ類、野菜など植物を食べることを私たちはごく普通のことだと思っている。しかし元来、植物という相手はヒトという種にとってそんな生やさしい相手ではなかった。前回書いたように、社会的肉食獣として進化してきたヒトはすでにセルロースを分解できなくなっていたし、草食で生きていくには大量に摂取しなければならないがヒトはそんなに大きな胃腸を備えてはいないからだ。ただ植物が最も栄養を濃縮する穀実、ナッツ類、イモなどだけを取り出しセルロース部分をとり除くことができれば比較的少ない量で必要な栄養を取り出すことができる。肉に替わりうる植物食としてはそれしかない。
 しかし農業を知らない時代、イネ科の草の種実を食べ物として考えることがどれほど途方もないことであったか。(現代でさえ品種改良されたアワやヒエを栽培して仮に沢山の種実を手にしても、それを食べられる状態にまでするのは大変なのだ)ナッツ類とて手ごわい。栗や椎の実を別とすれば、大量に得られるドングリやトチの実などは有毒で何回も何回も水にさらすなどしてシブ抜きをしなければならない。肉は生で食べられるし火を通せば尚おいしいし、栄養もあり消化も良い。実にありがたい食べ物だ。それに比べると植物を食べることがいかに難儀なことであることか。食べるまでにいくつもの工程がある。煮るためには土器も必要となる。植物は広い意味での料理(加工)なしには食べられないのである。別の言い方をすれば植物食は高い知能と技術、道具等々、文化を前提としてはじめて可能となる。 

 約25万年前、アフリカに生まれた現生人類(ホモサピエンスないしクロマニヨン人)は5万年ほど前にアフリカを出て、両極地を除く世界の隅々にまで拡散した。世界のどこに行っても多少の外見は違えどヒトがいるという現在の基本形がこの時代に作られた。この時代は地球の最終氷河期の真っ最中であり超寒い環境で生息範囲を拡げることができたのは狩猟技術の高度化もさることながら防寒のための衣服、キャンプのための小屋作り、そして社会性の高度化(ことばの使用)など相当のレベルの文化をすでに持っていたからであろう。しかし1万5千年ほど前、氷河期が終わり次第に暖かくなり、針葉樹林に替わって温帯森林が広がった。雪原や針葉樹林を大型草食獣(オオツノジカ、ナウマン象、マンモスなど)を追って暮らすことができなくなり、彼らは温帯森林地帯に定住せざるをえなくなる。しかし温帯森林に住むイノシシやシカなど中型獣を槍で(後には弓で)狩るのは難しい。当初彼らは川辺などに住み、魚類をねらったようである。しかし温帯森林は針葉樹林にくらべると植物資源には富んでいたからそれらも様々利用したはずだ。しかし植物をメインフードにすることは前述したように加工(料理)という面でも、また量の面でも難しい。そこに農業が始まる理由がある。

 後に農業や料理と呼ばれることになる知識と技術の体系なしには植物はメインフードになれなかったのである。それは肉食適応的に進化した消化器で植物をメインフードにせざるをえない環境に置かれたヒトの適応行動ということもできる。そして幸運だったのは(?)ヒトが社会的肉食動物で、ライオンやオオカミなどのように生物的肉食獣ではなかったということだ。ヒトの身体は元をたどれば森に住む植物食ないし雑食の霊長類であるから植物食にも潜在的には適応できたのだろう。ライオンはどんなに知能が向上しようと植物食にはなれない。彼らは純粋な肉食獣であるからだ。

 もし農業の開始をもって人類文明のスタートとするならば、植物食中心であった森を出てサバンナという新しい環境で社会的肉食獣として進化したこと、そして氷河期が終わり温暖化していく世界の中で肉食適応に進化した消化器官と狩猟活動によって進化した知能や社会性をもって再び植物食に適応せざるをえなかった、その曲折に秘密があるといえよう。むろんその時、その適応行動がこれ程に人類文明を変えることになろうとは誰も予想しなかっただろうけれども。  S

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by kurashilabo | 2014-04-19 11:30 | 鈴木ふみきのコラム