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原発という危うい土台の上で生きてきた

地震が起こって、停電生活を通して、やっぱり人は自然の中で生かされているんだ、とか自分以外のみんなとの協力の中で生きているんだとか、そういう事の大切さを感じた。支援の事も、自分たちが手を伸ばせる範囲で手を伸ばす。みんながそう思うことで、自分たちも助けられ、そしてより大変な人を支援する事ができる。そういう相互協力の芽が生まれた。

しかしそこに放射能の事が入ってくると話は全く別になる。規制値以下だとしても、そういう野菜を子どもや将来出産予定のある女性に勧める事が自分たち的にどことなくひっかかるようになった。そこから言える事はただ一つで、つまり原発とは何だったのかという事だ。そんなものが存在していた世の中とは何だったのかという事。危うい土台の上にどれだけ見せかけの繁栄を築いてもそんなものは全く何の価値もなかった。ただ砂上の楼閣にすぎなかった。

似たような問題に、都市と農村の関係がある。農学原論にしても都市経済論にしても、望ましいまちづくりは、中心に文化施設や憩いのスペースがあり、その周りに商業区、その周りに居住区、その周りに農業区があり、その規模は中心までのアクセスが容易な範囲である(他の説もたくさんあるが)。

日本の場合、東京という世界的な大都市があり、それを中心にしたまちづくり(この場合は国づくり?)になっていて、埼玉は居住区で、茨城県は農業区で、エネルギーは新潟と福島で、という具合に巨大なエリアを形成してきた。農業区に住んでいても電車で30分程度で文化施設にアクセスできなければ、実質その恩恵は受けられない(都市の人間が電車で90分もかけないと土に触れられないという事もまた逆に言える)。ともかく結果としてそういう国づくりをしてきたのだ。

映画の上映会やカフェ作りを通して地域のコミュニティー作りをやろうとしている。震災時の相互支援の経験もだし、茨城に住む以上ここの人がここの野菜を食べなければ、それはここでは住めないという宣言をしているようなものだからだ。しかし茨城が茨城という地域で自立して何かをやっていけるのか。茨城は東京という大都市を前提として生存してきた県であり、これまで自分たちだけで生きていく道を探った事がない。まぁしかし食べ物を育てる事はできる。都市はなんでもモノは集まるが、自分たちで作ることはできない。東京のあるお店の席で客が農作物がどこ産か気にする話(「茨城産なの大丈夫?」など)をしていた、というのを聞いたが、ちょっと調子に乗りすぎな気もする。一つの経済圏を大きくしすぎたために一体自分が誰に支えられていたのかに気が付かないのだ。そんな人たちには虚勢だろうがこう言ってやりたい「お前らなんかに野菜売ってやらねーよっ!!」って。そんな事を一人の農民が言ってもなんの威力もないけれど、メッセージの持つ意味はあるはず。

自分たちにはこの構造の土台を覆すような力はないけれど、せめて、なるべく自然に寄り添う暮らしをし、地域とつながりながら生きていきたいと思う。

イバ
by kurashilabo | 2011-06-24 22:05 | 週報からの抜粋