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農場横の湿田を池に改造している。
梅雨時のように降り続く雨の中で、傘をさしてできかけの池に水が溜まっていく様をながめていた。降る雨が水面に無数の輪を作り、静かだった。不意に自分の中に何ともいえぬ満足の感情が湧いてきて驚く。自分が帰るべきところに行き着いたような気持ち。至福といったら大げさではあるが。池とはいってもまだ魚もいないし、ゲンゴロウもいないし、水草もなく、オタマジャクシだけが水底でうごめくただの「うす汚い水溜り」ができただけなのだが。しかしそれはもう自分の中ではりっぱな「溜池」になっていた。その時の気持ちは自分の家を手作りした時の満足感とも少し違う。ある種のなつかしさのようなもの。おそらくはもっと原初的な人間であった自分の子ども時代への回帰、そんなところだと思う。まぁ、ともかく自分にとっての池はできたのだ。 地域は今、田植えの真っ最中で田んぼにはトラクターや田植え機が走り、人々が忙しく働いている。そういう人たちがふとトラクターを止めて、あるいは秘密を聞き出そうとするが如く近寄ってきて「一体何してるでぇ」と聞いてくる。朝夕の散歩途中のオバサンやジイさんが「何してるの?」と声をかけてくる。有機農業の青年が軽トラから降りてきて「何してるんですか?」問う。その度に「いやぁ、池を作っているんですョ、フナとか魚でも飼おうかと思って」と正直に答えると「ホゥ…池…いいですねぇ」などと小さく言い、そして微妙な笑みを浮かべる。まぁいい、小人を相手にしても仕方がない。自分でも「一体オレは何してるんだ、イイトシシテ」と思わないでもない。畑の作業だって詰まってきているというのに。しかしまぁいいのである。今更人生を反省しても遅いし、もうやり直しもきかないからオレはオレだ。米とか畑とか有用性の世界だけでは人は生きていけない。米や野菜は必要だが十分条件ではない。人間文化と自然の境界面こそ大事である。身の回りの小さな風景が人を救うことだってあるのだ。 たかが池などとあなどってはいけない。私たちは庭を作る時、しばしば池と石を配置する。名のある庭園をのぞけばそれがどれも池(水)と石(岩)を中心に構成されているのに気付くだろう。それが無いと「構造」ができないのである。池(湖)と石(山)は宇宙軸となって「聖地」を作る。チベットのカイラス山とナントかという湖(名前は忘れた)、男体山と中禅寺湖、箱根山と芦ノ湖、古来よりの(宗教以前の)聖地はみなそうである。そして聖地の構造はそのまま私たちの無意識のコスモロジーだ。自分では気付かないが、今も尚私たちはそのようなコスモロジーを持っている。ボクの「水溜り」も一瞬、そこに触れたのではないかと思う。 今日(3日)は終日強い雨が降り続いた。ほぼ形ができた池は水をなみなみとたたえ、あふれんばかり。何度も見てまわり排水や水位をみていた。池の隅にいくつも白い綿のようなゴミが浮いているので捨てようと取り上げたらそれは泡のかたまりで、いまにも孵化しそうな卵がいくつも見えた。生き物たちはもう活動をはじめているのである。何やら楽しくなる。 S
当農場では、毎週土曜日に、無農薬有機栽培で育てた野菜、広々した鶏舎で育てた鶏の卵をセットにしてお届けしています。この度、そんな野菜セットを気軽にお楽しみいただけるように、月1回4ヶ月間お届けするキャンペーンを行います。季節の移り変わりを野菜を通してぜひ感じてみてください。
★お届け期間 (お好きな期間をお選びください) ① 2012年6, 7, 8, 9月の4回 ② 2012年7, 8, 9, 10月の4回 ③ 2012年8, 9, 10, 11月の4回 ★お値段 10,000円(野菜セット4回分/送料込) (1回のセットはお野菜10品目前後と卵10個、2~3人のご家族で3~4日食べられる量を目安にしています。) ●特典 キャンペーン中にお申し込みの方に農場宿泊券を進呈しています。この機会に是非当農場に遊びにいらしてください。(紹介者がいる場合には紹介者も含む) キャンペーン用お申込みフォーム コチラから ![]() 野菜について 肥料は自家製のケイフンとトンプン堆肥を使い、完全無農薬・無化学肥料で栽培しています。季節ごとに採れる旬のお野菜をお届けします。どのお野菜も味わい深く、生でいただくと一層違いを感じていただけます。 ![]() たまごについて 良い卵は健康な鶏から産まれるものと考え、通風や採光のある広々とした鶏舎、自由に動き回れる環境で育てています。餌は茨城県内の小麦や米ぬか、発酵飼料、自家製の青草を与え、鶏の健康と卵の美味しさを考えています。 各月のお野菜セットの特徴 6月 春から夏の移り変わりの時期・一押しはシャキシャキの新玉ねぎとにんにく。味、風味ともに抜群です。他には、キャベツ、ブロッコリー、レタス、春菊、大根、にんじん、エンドウなど。 7月 夏の入り口。一押しはじゃが芋。掘りたてホクホクのじゃが芋はこの時期ならでは。他には、キュウリやピーマン、ナス、トマト、インゲンなどの夏野菜が採れ始めます。 8月 夏野菜本番。上の野菜に加え、しし唐、オクラ、ズッキーニ、ゴーヤが加わり、賑やかに。運がよければトウモロコシも出荷に加わります。思わずBBQがしたくなりますね! 9月 夏野菜はまだ続きますが、徐々に秋の野菜が加わります。一押しはカボチャ。夏の日差しを思いきり浴びて育ち、美味しい実をつけます。他には、ネギやモロヘイヤ、空芯菜など。 10月 秋の入り口。夏野菜が減り、秋の葉物が採れ始めます。一押しはサツマ芋。少し肌寒くなった季節に焼き芋はたまりませんね。他には小松菜やコカブ、春菊、水菜、大根などの葉物 11月 秋の到来。一押しは里イモ。掘りたては風味もよく美味。京芋や唐芋などの珍しい芋も出る場合があるのでお楽しみに。他には白菜、ほうれん草などの冬野菜が出始めます。 *時期や畑の状況によって出荷内容が異なるため、必ずしも上述の説明のものが届かない場合がございます。その点はご理解・ご了承ください。 ----------------------------------------------------------------- *放射能について* 暮らしの実験室では定期的に野菜、卵、お肉の測定を行っており、全ての検体で厚生労働省の定めた暫定基準値を下回っています。冬越しほうれん草/不検出(検出限界6bq)、白菜/不検出/(検出限界12bq)、大根/不検出(検出限界13bq)、卵/不検出(検出限界11bq)、牧草/不検出(検出限界15bq) (測定協力:常総生協) ------------------------------------------------------------------ ●問い合わせ先 ORGANIC FARM 暮らしの実験室 Mail / kurashilabo@gmail.com Tel&Fax / 0299-43-6769 315-0116 茨城県石岡市柿岡1297
田んぼの減農薬運動でよく知られた「農と自然の思想家」宇根豊さんという人がいる。時々文章に触れて教えられることが多い。彼は「百姓」を自称していて必ず「百姓、宇根豊」と名乗っている。その自信がうらやましくもある。ひるがえって自分が何と自称したらいいのかわからない。実感としてはフリーターというか、一生プータローで終わるんだろうなぁ、という気分だが、これではあまり人をふるい立たせることができない。しかし百姓という自称はちょっとはずかしいしむずかしい。有機農業をやる人にはそう自称する人が少なくないが、有機農業を勇気農業と言い換えたりするのと似て好きではない。そもそも百姓という言葉には長い歴史がある。元来律令制下では百姓とは(ひゃくせいと読んで)人民大衆、公民のことだった。百の姓(かばね)である。中世になると本百姓とか草分百姓とかいう言葉がでてきて、この場合は荘園制下の自立農民という意味が強い。江戸時代になると百姓という言葉は(農民という意味も含みつつも)むしろ身分呼称となる。町方に住んでいれば(武士を除いて)商人であれ職人であれ町人であり、地方(ジカタ)に住んでいれば商売をやっていようと猟師であろうと皆、百姓だった。
歴史家の網野善彦によれば、台帳上は「水呑百姓」が実際は大きな船を何艘も所有する廻船問屋だったりすることもあるという。明治になると、四民平等ということになり行政上は百姓という言葉は消える。百姓身分はなくなったのである。正式には(?)百姓という言葉に対応する実体はなくなり死語となった。それゆえその後の使い方は恣意的というか、その時その人の気分を反映したものとなる。明治以降は富国強兵、工業化都市化の時代であり、明治(近代)を明るい価値のあるものとして装うには江戸時代は暗い時代でなければならず、そういう文脈のなかで百姓もまた遅れたもの、地方の者、農業社会的なもの、前近代を嘲笑する言葉となった。近代の側にいる人間が使えば差別的な含意となり、農家が使えば自己卑下と羨望を含んたものとなった。日本近代の屈折をよく体現する言葉になったのである。(むろん新聞などメディアが百姓という言葉を使わないのはそのためである。) それをもうひとひねりして、マツロハヌ者、大地に生きる者、という近代批判の含意で使われ出すのは記憶では成田空港反対闘争あたりからである。それは農業の見直し機運と規を一にしている。有機農業をやる人が百姓という言葉を使うのもそういう流れの中でである。彼らはそのことばに更に百姓=百の仕事ができる自立したものという意味も込めている。(百姓にもともとそんな意味はない、念のため)。まぁそういうのは文学だからどういう使い方をしてもいいのだが、次第に業界内だけで通用する用語になっていくのではなかろうか(仲間内の言葉)。外国の人や、ごく若い人にそこに含まれる煩雑な含意を読み取ることは困難だ。百姓に限らず農業にかかわる言葉はよく考えないと使い方がむずかしい。有機農業などというのはその最たるものだ。アッ、これをやると有機農業界でますます相手にされなくなるなぁ。しかし有機農業という言葉の検証は避けて通れない気がする。 S
ゴールデンウィークの予定はとくに決まっていない。
できたらのんびり過ごしたい!と考えている方に朗報です。 やさと農場ではGW中の29-30日(日・月)と5-6(土・日)で、加工&池作り関連のミニ企画をいくつかご用意して皆さんの来場をお待ちしています。 Plan1 ぶー油を使った石鹸づくり Plan2 池に蓮根植えor土手に花の種をまく Plan3 ハーブの定植 などなど・・・。 これを機会に農場でやってみたかったことを持ちこんでもらってもOKです。 例:石がまでピザを焼きたい! 露天風呂に入りたい etc. 来場のご予約は、 kurashilabo@gmail.com 0299-43-6769 まで、メールかお電話ください。 ご来場お待ちしております^^ なお、宿泊に関しては部屋数もありますので、定員オーバーになったらごめんなさい。 事務局:姜(かん) ![]()
農場横の小さな湿田を池に改造中である。
いよいよこの辺りの田に水が入り、夜の蛙の声も一段とヒートアップしている。先日掘りかけた池の水の中にもう蛙の卵がうねうねとただよい、オタマジャクシになりはじめたものもいる。水の季節の到来である。今日(17日)は日中ひどく暑いと思っていたら、夕方に激しい風と雷雨となった。今年はじめての夕立だが、4月のこの時期にはめずらしい。数日前に建てたばかりのトマトハウスが風で飛ばされはしまいかと、樹木のゆれる様と空の雲の流れをしばしながめていた(おかげ様で大丈夫でした)。雨であれ池であれ、水の風景は心の中にまで染み入ってくる。作りかけの池をながめながら、丁度来場していた会員のS氏と「ここに棚でも作ったらいいねぇ」などと話をした。私たちはどうしてこんなにも水を嗜好するのだろうか。その水も噴水やプールのきれいな水ではなく、あの、「古池や蛙飛び込む水の音」の水である。水へのそのような情緒的接し方はどこからくるのだろうか。 普段は気にもとめないそんなことを考えたのは、先日ここでもちょっと触れたイザベラ・バードの「日本奥地紀行」に次のようななにげない一文があったからだ。彼女は明治11年、激しく降り続く雨の中をようやく秋田県の白沢に到着し、すったもんだの末やっとのこと宿の一部屋を得る。「・・・部屋は一方が村に面し、一方は池に臨んでいた。部屋はあたかも蚊を招くかのように池の上に突き出して建ててあった。どうして日本人は、こんな汚い水溜まりが家の装飾になると思っているのか、私にはわからない」こんな言われ方をしたのでは宿屋も大工も立つ瀬がないが。(誤解のないように言っておくと、彼女は日本に対して悪印象ばかりをもった訳ではない。むしろ旅を続ける中で文章のトーンが微妙に変わっていく。例えば、「・・・この丁寧で勤勉で文明化した国民の中に全く溶け込んで生活していると、その風俗習慣を、英国民のように何世紀にもわたってキリスト教に培われた国民の風俗習慣と比較してみることは、日本人に対して大いに不当な扱いをしたことになるということを忘れるようになる。この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように≪残念ながら実際にはそうでない!≫英国民がますますキリスト教化されんことを神に祈る。」等々) 私たちが「こんな汚い水溜り」にかくも親和的なのは稲作という「水と共棲する生活」を長く続けてきたからだろうか。ならばそれはアジアの稲作民に共通のはずだが、どうなんだろう、そこはよくわからない。思うに、むしろそれは私たちの、子どもや動物や植物などに対する接し方、「かわいい、かわいがる、かわいそう」系列の言葉で表わされる関係と相同なのではないか。自分と対象の間に意識的な区別をつけない、あの未開の精神。バードが見たように、家の中に人と馬と犬と鶏、ご先祖や大黒様までが横並びに暮らしていて、それをごく当たり前のこととしてきた人々。私たちはもうすっかり近代化してしまったと思っているのに、実はかようなアニミズム的心性が未だに心身の底の方にくすぶっているのではなかろうか、驚いたことに。 S
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●○稲豆学園 水稲部/陸豆部 参加者募集のお知らせ○● ------------------------------------------------------ ※稲刈りの日程が変更になりました※ 茨城県石岡市にある暮らしの実験室やさと農場の田んぼと畑で、 一年を通してお米と大豆を自給してみませんか? 主食であるお米、味噌や油、醤油に欠かせない大豆、この2つ を自給できる喜びはひとしおです! 今年はもち米の栽培もやります! ------------------------------------------------- ■みんなで育てるお米と大豆 【水稲部】 品種:ミルキークィーン(茨城のお米です) 規模:0.5反 【陸豆部】 品種:やさと地大豆(青大豆もあります) 規模:1区画10㎡(一人1区画担当制です) ------------------------------------------------- <年間スケジュール> ☆5月19-20日 入部式/田植え 5月26-27日 除草① ☆6月9-10日 除草② 6月23-24日 除草③ ☆6月30-1日 大豆種まき 7月7-8日 間引き除草 ☆8月4-5日 大豆畑除草 ☆9月29-30日 稲刈り/枝豆収穫 ☆11月17-18日 大豆収穫 ☆12月~1月中 脱粒 ☆2月 味噌仕込み ※☆印は公式活動です。全8回あります。 ※作業は基本1泊2日の合宿形式です。 日帰り参加もできます。 ※農場の施設利用料と食費は別途実費がかかります。 (宿泊利用料3000円/1食500円/日帰り利用料1500円) ※入部していなくても各活動には参加できます。 ※日程があわずあまり活動に参加できなくても 入部すればお米と大豆はお送りします。 ------------------------------------------ ★部費:8000円 (お米7kg、自分の畑でとれた大豆) ※追加のお米を割引価格で購入できます ★入部定員:16名 ★応募締切:5月20日 ※田植えの日までにお申し込みください^^ ------------------------------------------- <申込方法> 以下のフォームからお申込みください。 https://docs.google.com/spreadsheet/viewform?formkey=dEhvVGNhRVZIeGNGQXVNN2VBMnl2X3c6MQ#gid=0 ※フォームがうまく作動しない場合は 氏名/住所/e-mail/田植えの参加・不参加をご記入の上 kurashilabo@gmail.com に直接メールしてください。 ------------------------------------------------- <問い合わせ先> 暮らしの実験室やさと農場内 稲豆学園水稲部/陸豆部 顧問:茨木/マネージャー:姜 Tel/fax 0299-43-6769 kurashilabo@gmail.com --------------------------------------------- ![]() ![]() ![]() 農場横の小さな湿田を池に改造している。 ごく狭いとはいえ田の土(泥)を動かすのは大仕事なので重機(バックフォー3tクラス)を使い、畑仕事の合間に少しずつ進めている。重機はつくばのインド人(?)のおっさんが日本人を2,3人使ってやっている中古屋で買った。(他の中古屋見たが、そこが一番正直な商売をしているように思われた。)お金をどうしたか…は問わないことにしよう(寄進というあれである)。 重機を動かすのは腰が痛くなるのを別にすれば楽しい作業だ。自分が百倍も強力になったような快感がある。ガンダムになったような気分。自動車が走る快感の延長だとすれば、重機は腕力の巨大化である。トラクターであれ何であれ人の操作する機械はみな人体の持つ能力の外延化だが、重機の動きは人の腕と実によく似ているので、とりわけ自分と一体化してくる。自分の手で土を掬っているような気分になるのである。これがあればいくらでも自然破壊できるし、したくなってくる、いやはや。 機械の話はさておくとして、池である。土(泥)を掘っていると深いところから割竹や砂が出てきた。暗きょ排水の残骸である。(暗きょというのは土中の水抜き)。今の人はこんな狭くて条件の悪い田にそんな手間をかけないから何代か前の人であろう。彼もこの湿田を少しでも使い易くしようと苦労した訳だ。その田をつぶして池にするのは少々申し訳ない気にもなる。このあたりの田は大なり小なり谷津田だが(台地にはさまれた細長い谷に開かれた水田。)昭和30年代まではこうしたごく小さな悪条件の田もみな耕作されていた。米(作り)こそが価値の時代だったのである。その後は米余りで減反になり、工業化で働き手も外に出て、機械の入らない田から順次耕作放棄されていった。幹線道路を走っていては見えないが、今では小さな谷津田の奥はどこもヨシ原になっていて(豊葦原!)、もうそこが元は田だったとはわからなくなっているところも多い。 そういう放棄された田をのぞくのが僕は好きで、時々マムシに気をつけながら歩いてまわる。ヨシ原に次第に樹木が生え、鳥やケモノたちの棲みかとなっていくのは自然の回復として、それはそれで喜ばしいことかもしれない。耕作放棄といえば聞こえは悪いが、そんなところまで耕作しなくても生きていけるようになったということであり、けっこうなことである。そのようにして「自然に帰る」のも悪くはないが(大勢としてはそれでいいが)ちょっと芸がない。場所がよければ池にしたり(養魚!)、乾田化できるところは樹を植えたり(林業!)、都市住民に開放したりすれば(公園化!)景観も大きく変わり、おもしろい場所になると思うのだが。 実際には地権(所有権)が入り組んでいて、農家は耕作していない田畑も自分の所有物として囲い込んでいるから(土地資産。法的にもそうなっている)難しいのだけれど。しかし農地の所有やお金の私的所有とは元来性格が違う問題である。田畑の生み出す食べ物は、この列島で生きていくうえで必要不可欠であり、そういうものとして万民の関心事であり公共の問題だ。であるからこそ農地や農家は手厚く保護されてきたのである。もっと言ってしまえば田畑は耕作していればこその田畑であり、耕作放棄すれば自然に帰るのであり田畑ではない。田畑という変わらぬ実体があるわけではない。列島の自然は農家の占有物ではなく公共財として万民のものだ。田畑の所有権は本質的には利用権であるはずなのだ。ま、誰もそんな話関心もたないだろうけれど。S ![]()
さて、放射能により“安全”という看板を出せなくなったエリアで、今後もひき続き有機農業を続けていくとすれば有機農業の存在理由を語らなければならないし、それは結局根本から“農業を語り直す”ことになるはずだ。本当はもうずっと前から必要だったのに農業者はずっとその仕事をサボってきた。今がラストチャンスといえるかもしれない。
農業はこれまでずっと、農家・農協・消費者・流通業者・農水省・農学部…等々という“業界内”の問題だった。そして家畜・飼育・作物・栽培・生産・コスト・農業…等々という近代的で強固な言葉で語られてきた。近代農学の山のような書物を一冊でも開けばそうした言葉で埋め尽くされているのがわかるだろう。しかしもはやそういう言葉では、またそのアンチないしオルタナティブとしての有機農業云々という語りでも、“今農業について語るべきこと”は語りえないだろう。そういう枠組みと言葉では今必要とされる農業についての語りはできない。 必要なのは農業についての新しい語り口であり、新しい農学、生き方としての農学ともいうべきものである。農(業)とは狩猟採集に替わる、新しい人と動物や植物、自然との関係の在り方、あるいは人と動物や植物との共生(棲)の形である。文明史的に言えばそうなる。歴史は常に人間の歴史として語られるけれども、人間は人間だけで歴史を作ってきた訳ではない。鶏、牛、馬、犬…米、麦、豆…等々の沢山の動物や植物と共に歴史を生きてきた。それは単に家畜を飼い、作物を栽培して生活してきたということではなく、新石器革命以後は人間という単独の主体など観念の中にしかなく、暮らしの中の実体としては彼らとの関係の総体、“共生体”ともいうべきものになっているということだ。だから彼らがどう扱われているかを見ればその社会や人の基本性格はわかる。そういうものなのだ。語られるべき農学は新石器革命以後の、人と動物や植物との関係についての学、人間だけがする農(業)という不思議な行為の意味と構造を明らかにして、どうしたらその関係が物質的にも精神的にも最も豊かでありうるかを問う学になるはずだ。明治以来の近代農学、とりわけ1960年代以降の農業の近代化は“農”というものをごく狭い、単なる経済の一分野とすることで農業を限りなく貧相なものにしてしまった。私たちは農(業)のもつ潜在的豊かさからますます遠ざかっている。そのことに気付いてもいない。もったいないことである。 3,11以降、かような新しい農学への渇望と切迫が自分の中で、かつまた社会的にも高まっているのを感じる。 S
3・11はかように農業者としての自分に多くの難題を残したが、そうした直接的で現実的な問題を離れれば、震災とは私にとって日々新聞や雑誌で見る写真だった。黒々とうち重なる瓦礫、半ば崩壊した原子力発電所、つながれたまま餓死した牛、それは何かとんでもないことを確かに写しとっているのに、そこにことばが無かった。日常のことばはそこに届かないように思われた。そして結局、私はこれは現代文明の陰画なのだと考えたのだった。現代が露出したのだと。
膨大な量の瓦礫は近代とは要するにこの物量であったのかと思われた。飼い慣らしたと思っていた原子力も野性のまま野に放てばこういうものだということを教えた。つながれたまま、あるいは閉じ込められたまま餓死し、放置され、腐っていった牛や豚や鶏は、そのまま「ケージ的なるもの」に押し込められている現代の家畜たちの悲惨を語って余りあるだろう。そしてこの震災が2011年に起きたことの意味を考えた。もしこれが50年前の1960年頃に起きたならば、全く別の語られ方をしたはずだ。文明史的反省など話題にもならず、復興復旧だけが問題になっただろう。 私は震災前からすでにこうした映像を頭の中で見ていたのではないか。何もかもが過剰で、こんな生活はどこかおかしく長く続くはずがないというそこはかとない疑念。そうした頭の中のモヤモヤとしたものが、突然クリアな画像となり、いまやほとんどの日本人が(日本人だけではないだろう)共有するものになってしまった。地質学的なタイムスパンで考えれば、地球のほんのちょっとした身震いが、私たちの日常を一瞬にして相対化してしまった。永遠に続くかと思われたこの世界の枠組みにも終わりはある。見えたならば終わらせることができる。昨日まではわずかな思想家たちの論考、あるいは凡人の妄想だったものが、今日は多くの人が共有するリアルな政治課題となった。どんな政治かはこれから様々に語られていくことになるだろう。10年か50年か100年かかるかわからないけれども。今言えるのは、それはあの映像に言葉を与え、鎮魂していくものでなければならないということだけだ。私たちは歴史の大きな曲がり角を曲がりはじめてしまった、すでに違う時代を生きている、そんな気がするのである。
農という営みはつきつめていえば、光や水や空気や土を食べ物に換えていくというものであるから、それが汚染されたらもうどうしようもない。かってチェルノブイリの事故の時、「これからは化学肥料を使ったほうが安全ということになるのかねぇ」などとレタスを収穫しながら同僚と話したことを覚えている。しかし、まだまだ遠い国の出来事という意識だったと思う。今回はそれがわが身に迫ってきた。山の落ち葉を集めそれを堆肥にして土を肥やすのは(伝統的)農業の基本だが、今それをやれば山を除染し放射性廃棄物を畑に投入していることになってしまう。また私たちの農場では薪ストーブを使っているが、その灰を計ったら3千ベクレルだった。管理が必要な8千ベクレルまではいかないが、身近に置くこともできないし、まして苗床に使う訳にもいかない。茨城南部で捕獲したイノシシからは基準を大きく越すセシウムが検出され食用にまわすことが禁じられた。最も清浄なはずの山で暮らす生き物が最も汚染されている。汚染が比較的少なくてすんだ“茨城でさえ”こんなとんでもないことになっているのである。
私たちの農場経営も小さくない打撃を受けた。一時期、そして今でも、放射能を理由としてやめる人が多くでたのである。低レベルとはいえ当地も汚染されているのは事実であり、不安なものはできるだけ避けるというのは消費者として合理的であり、風評という言い方は当たらない。現実的リスクはこんなに低いんですよ、とは言えるがこういう時、それで人を引きとめることはできない。(現実的リスクが問題となっているのではないのである。おそらく、彼らにとって。ケガレ意識のようなものが呼び起こされているのではなかろうか。)かつては安全なものを求めてやってきて、今は安全なものを求めて人は去る。私たちの農場は1974年に安全な食べ物を求める子持ち世代の主婦たちを主力として建設された(たまごの会)。子どもに安全で納得のいく食べ物を食べさせたかったのである。今にして思えば牧歌的な時代だった。今では電話がきて「今度結婚して子どもができたので、すみませんがやめます」と言う。私は電話口で返す言葉がでない。とんでもないことである。 太陽からの光、清浄な空気や水、黒々とした土、そういう所与としての自然の恵みを私はこれまでほとんど意識したことがなかった。無垢で豊かな自然は無条件で与えられているという安心感の上にすべてが成り立っていた。しかし今になって考えれば農という営みの明朗さ、楽天性の根拠はつきつめればそこにあったのだ。それが失われた。土の汚染は○○ベクレルで野菜は△△ベクレル、だからこれを食べ続けてもこの程度のリスクにしかならない、という現実的な語りは農業者としてむろん必要である。しかし土や野菜をそういう文脈で語らなければならなくなったということ、無垢な自然への信頼感が失われた、そのことが大きい。むろんこれまでも土も水も無垢などではなかった。しかし土も水も世の汚れを最終的に浄化する場所としてイメージされてきた。「ナウシカ」で、永遠の時を刻みながら腐海の毒を浄化しているのは木であり根であり土であり水だった。あれは私たちの集合無意識のようなものだろう。農を営む者は「土はキレイなもの」という無邪気な信仰を生きてきたのである。だが、セシウムもストロンチウムも土が浄化できるものではない。燃やして灰になっても消えない。(燃やすというのは意識の中では究極の浄化であったはずなのに。)放射能は環境内においても身体においても、また精神においても従来の汚染とは違い、もうひとつ深いレベルの汚染であって、その、生物にとっての根源的異物性がいつまでたってもスッキリしない日常を生んでいる。農という営みの根本の明朗さ、楽天性に陰りをもたらしてしまった。茨城でさえ、こうなのである、フクシマはさぞ。(続く)
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